昨年登った山の写真をTシャツにしました。
その時のことを少し書いてみます。
狂ったような夏の暑さがやっと落ち着き、これからやってくる冬の到来を朝晩の空気の中に感じるようになった頃、僕は空港に向かう早朝の列車に乗っていた。窓の外はまだ暗かった事を覚えている。これから始まる挑戦に向けて、期待と不安が混ざった、複雑な思いを胸に抱いていた。なんだか小さな頃の、遠足当日の朝のようで少し懐かしい気持ちになった。
僕は飛行機3本を乗り継ぎ、目指す山に向かった。最後はセスナのような小型機で乗客は僕ひとりだった。乱気流に揉まれながらのフライトを終え、飛行機と同じくらい小さな飛行場に到着した時には、実に日本を出発してから丸二日が経っていた。
その日は空港近くの町に宿泊し、少しずつ身体を高度に慣らしていった。不快感や、吐き気、めまいなどの症状がなかったのは幸運だったのだろう。僕は宿泊所で少し休憩した後に町に繰り出し、シェルパ(登山者が頂上にたどりつくための手助けをする案内人)を探した。町は狭く、人はまばらだった。とにかく空が青かった。青いというよりも蒼だ。誰かがフォトショップで色調をいじったかのように現実味を欠いた空だった。
酒場が乱立する地域の片隅に、現地の言葉で「シェルパエージェント」という手描きの看板を見つけた。ドアについた窓から内部を覗いてみるが、暗くて様子がつかめない。だが人の気配のようなものは感じる。僕はドアをノックしようとしたが、少し迷ってからやめて、錆びたドアノブを回して中に入った。
室内には小さなカウンターがひとつあるだけだった。椅子はない。壁という壁に山岳地図が無造作に貼られている。それはなにかの研究室のように見えた。カウンターには顔中がヒゲだらけの人物が立っていた。中年の時期を過ぎ、老人に手を掛けようとしているくらいの年齢にみえた。毛量が不自然に多く、ヒゲも髪も全てが白かった。そして顔の皮膚はよく日焼けしていた。海ではなく山、それも高山での浅黒い焼け方だ。その老人がシェルパだという。
彼は僕の目をジッと見つめていた。その眼光は鋭く、聖地、霊峰と呼ばれるその山に挑戦する資格が僕にあるのか見定められているような気がした。
シェルパは現地の言葉を使い、早口になにかを言いながら一枚の紙を差し出した。その紙には日本語で「契約書」と書かれていた。業務内容と、費用、保険等の説明が細かに書かれていた。なんで日本語なんだろうと疑問に思ったけれど、現地の言葉がほとんどわからない僕には都合が良かったので、とくに質問しなかった。
契約が終わり、山行の計画を打ち合わせをし、シェルパと再会を約束した僕は建物の外へ出た。安心感からか急激な喉の渇きを覚え、隣の酒場で瓶ビールを飲んだ。冷蔵庫から出したばかりなのにほとんど常温だったが、渇いた喉を潤すには充分だった。この町はそれほどに渇いている。
かすかな酔いを感じながら宿泊所へ戻ると、シャワーを浴びて、時差ボケを治す為にベッドに潜り込んだ。僕はやっと、夢にまでみたあの山に挑戦できるのだと思うと少し高揚感があった。けれど、すぐに眠りの底へと落ちていった。
翌朝も昨日と同じ、蒼く、突き抜けるような空だった。風もほとんどなく穏やかな様子だった。「これなら行けるな」という顔をしたシェルパと一緒に並んで空を眺めた。僕はこれから見に行く風景を想像しながら、登山の準備を急いだ。
それからの僕の記憶は断片的だ。スタートからしばらくはとても快調だった。体調も、天候も、日程もすべては計画通りだった。しかし、3日目から様子が一変した。天候が急激に崩れ、立っていられない程の風が吹き、なにかの罰のように僕らのテントを吹き飛ばそうとしていた。シェルパは僕に計画の中断を提案した。ほとんど強制的なその提案だったが、シェルパを説得し2時間だけの猶予をもらった。それまでに天候に復調の兆しが見えなかったら諦めて下山するという条件だった。結果を言ってしまうと天候は回復せず、僕は登頂を諦めて下山した。10代から抱いていた夢はそこで終わってしまった。
だが、ひとつだけ幸運な事が起こった。タイムリミットを迎えてテントをたたんでいる時に、僕は誰かに呼ばれるような、なにかの気配を感じて、ふっと空を見上げた。すると強風に煽られた雲が一瞬だけ途切れ、嘘のように青空が広がった。やはり蒼い、宇宙を感じるほどの深い空だった。そしてその先に目指していた山の頂が見えた。さっきまでの強風は嘘のように止まり、凪いだ海のように静かだった。シェルパもあっけにとられた表情をしていたことを覚えている。
僕はポケットに入っていたカメラで一枚だけ写真を撮った。次の瞬間、ふたたび強風が吹き荒れ、あっという間に雲がかかり、山の姿は消えた。そして再び姿を現すことはなかった。
いまとなってはそれがほんの数秒のことのようにも、永遠のように長かったような気もする。わからない。ただひとつ言えることは、もし神というものが存在するのであれば、あの瞬間、あそこに居たのではないかと思えることだ。僕は山の頂に立つことはできなかったが、それ以上の物を手に入れたのである。それは今でも僕の心の中の深い所にひっそりと残っている。
心残りというものはなく、再挑戦どころか、その後低い山ですら一度も登ることはなかった。あの瞬間、あの場所で僕の中のなにかは静かに終わりを迎えたのだ。
その時に撮った写真を、今回Tシャツとして販売致します。
というのはすべて嘘で、作り話です。
文章書くのは楽しいな
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